研修講師なら知っておきたい教育の話

江戸時代の寺子屋と最先端の教育理論との関係

上の写真を見て、「ここがどこなのか」をわからない日本人はまずいないと思います。そして、このことが私たちの教育に関する世界観に大きな影響を与えています。

教育というと学校、学校というとこの形式の教室。教壇に先生が1人立って知識を与え、生徒は整列して座って一斉に同じ知識を受け取る、いわゆるスクール形式と呼ばれるカタチですね。

この形式で、ほぼ全ての人が小中高と12年間を過ごす(2020年度の高校進学率98.8%)わけですから、現代の日本人の教育観に大きな影響を与えていないはずがないのです。

教える側にとって効率の良いスクール形式

スクール形式は、別名「一斉授業形式」といいますが、この形式の教育が始まったのは産業革命時代。つまり、人類の長い教育の営みの中でたった200年の歴史しかありません。

産業革命後に大量の未熟練な工場労働者に対して、いかに効率的に工場での作業を教えるかという課題を解決するために考え出されたのが一斉授業方式です。そのため、別名を「工場型教育モデル」といいます。無自覚に受け入れてきたスクール形式の原型が工場型モデルだったということを知った時、私はちょっと衝撃を受けました。

この画一的な一斉授業形式はその後、先進国の普通教育の普及に伴い、学校教育の場に広がっていきました。なぜなら、これは教える側にとって効率がよい方法だったからです。

日本においては明治政府が学制を発布して尋常小学校を全国につくったとき、たくさんの子どもたちに教育をしなければならず、この効率のよい一斉授業方式-スクール形式が取り入れられ、それが今に続いています。

一方で、これは教えられる側にとっては効率が悪いのです。

教えられる側にとって効率のよい方法とは?

教えられる側にとって最も効率のよい学び方は個別指導、つまり家庭教師の教え方です。

産業革命以前の家内制手工業の時代は、親方が弟子をOJT形式で1人ずつ教えていたわけですし、貴族たちは家庭教師を雇っていました。

得意・不得意な分野は人によって違います。学習のスピードや学習方法の好みも人によって違います。教室以外でどんな経験をしているか、ほかにどんな学習歴を持っているかということは、理解や習得に大きな影響を与えます。そのため、先生が一方的に話す一斉授業形式では、「落ちこぼれ」や「吹きこぼれ」が発生してしまうことを避けることはできません。

これらのことは先生の個別対応によって軽減されます。しかし、個別対応は教える側の負担が大きいのです。担任の先生一人ではとても対応できないので、最近ではアシスタント・ティーチャーやチューターを置く学校も増えました。

教育の議論はややもすると、教わる側(生徒、学生、受講者)ばかりに肩入れしがちになりますので「だから学校はダメ。スクール形式の研修はダメ」と結論したくなりますが、世の中のすべての人がマンツーマンで学ぶわけにはいきませんし、すべてのことをマンツーマンで学ぶ必要もありません。

教わる側と教える側の効率化は別問題であることを認識したうえで、その時々の状況や条件の下で教育設計や教え方を工夫をするのが教える側の役割だということです。アシスタント・ティーチャーを置くというのは、その工夫の1つですね。

誤解されがちな寺子屋の実態

これは江戸時代の寺子屋の様子を描いた絵です。右下に小さくあるのは、寺子屋ではありません。こちらは藩校、黒田藩とか水戸藩というような藩士の子弟の教育機関を再現した写真です。

私たちは無自覚に「教育機関=スクール形式」を受け入れてしまっているため、寺子屋を藩校のように思っている人も少なくありません。寺子屋の実態をかなり誤解しています。

寺子屋には、商家、農家、職人、下級武士の子など、様々な家業の子が、それぞれに必要なことだけを学べる時間に学びに来ていました。

江戸時代は子どもたちも重要な労働力だったので、学校のように決まった時間に一斉に来られるわけではありませんし、家業が違うので学ばなければいけないことも、みんなそれぞれに違います。例えば、農家の子どもにはそろばんも論語も必要ない。村の連絡事項のようなものが読めるだけの識字力があればよいので、そこだけを時間があるときに学びに来る。それに対応していたのが寺子屋です。

江戸時代の日本の識字率の高さは世界有数で、そのベースがあったからこそ明治以降の近代化が成功したという説もありますが、その識字率の高さに貢献していたのが寺子屋です。

最先端の学びのカタチ

21世紀以降、スクール形式のデメリット-学習する側の効率の悪さを解決するために、教育学の世界ではさまざまな研究が行われています。

その1つが、「学びの個別化」です。学びの個別化とは、学習の目標、内容、スピードやスタイルなどを、学習者個々人に最適化することをいいます。寺子屋では、まさに「学びの個別化」が行われていました。

現代ではICT技術によって学びの個別最適化を実現しようとする研究が進んでおり、これをアダプティブラーニング(Adaptive Leaning)と呼んでいます。

寺子屋でもう1つ注目すべき点は、子供同士で教えあうというシステムが機能していたという点です。年齢・性別はもとより、家業・学習履歴の違う様々な子どもがバラバラの時間に来るのですから、先生がすべて対応できるはずもなく、知っている子が知らない子に自然と教えあうという形態ができていたということです。

これを「学びの協同化」といい、最近アクティブラーニング(Active Leaning)やピアラーニング(Peer Leaning)という名称で注目されている教育手法に近いことが寺子屋で行われていたことがわかっています。

もう一度、寺子屋の絵を見てください。先生、教えていませんよね(笑)。

まとめ|教え方を学ぶと研修講師の自由度が増える

寺子屋のことを大学院の教育史の授業で知った時、自分がスクール形式の教育観に捉われていたことを自覚するとともに、なんだか自由になった気がしました。

それでも、私はスクール形式を否定しようとは思いません。スクール形式も先人の知恵の1つのカタチです。最先端のアダプティブラーニングの研究にも興味があるし、アクティブラーニングやピアラーニングを学んで研修に取り入れることもしています。

21世紀になって「教え方」についての研究が進んでいます。研修講師が「教え方」を学ぶことはよい研修をするために必要不可欠なことですが、それは義務というよりは、あなたの選択肢を増やし自由度が増すことなのだと思います。

あなたの研修講師としてのご活躍を心から応援しています。

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