研修講師なら知っておきたい教育の話

おとなにどう教えるか|成人教育論

47歳の“いいおとな”になって大学院に入学しました。

仕事と学習・研究との両立はハードでしたし、学びたいことのすべてを学べたわけではありませんが、大学院に通ってよかったと思っています。

かつて学部生時代に教員を目指して教育学を学んで以来凝り固まっていた私の教育観は、25年間を経て大学院でパッカーンと吹っ飛ばされました。

パッカーン経験(第2弾)になったのが、今回解説する『成人教育論』です。

ゼミの担当教授の研究対象でもあったので、当時入手できた成人教育論に関する書籍・論文(日本語に限る)はほぼ読破しました。

(パッカーン経験の第1弾についてはこちらのコラムをご覧ください)

成人教育論とは?

一般的に『教育学』と訳される「pedagogy:ペダゴジー」の語源は、ギリシャ語の「paid:子ども」+「agogos:指導する」の造語です。この言葉からもわかる通り、従来の教育学は子どもの教育、特に学校教育を前提として理論構築されています。

それに対して、成人の学習を支援する方法論は「aner:成人」+「agogos:指導する」で、「Andragogy:アンドラゴジー」と名付けられています。

子どもを教える教育学とおとなを教える教育学は別物なんだ!!これが私の大学院における二番目のパッカーン経験でした。

成人教育論の萌芽は19世紀のドイツに見られますが、理論として体系化されたのは1970年代のアメリカです。著名な研究者は、ボストン大学で教育学を教えていたマルカム・ノールズ。

YMCAの成人教育部門ディレクターの経験もあったノールズは自らの経験から、おとなを教育する場合は子どもを教育するのとは違う方法論の必要性を提唱し、成人教育論を構築しました。

ノールズは、おとなの学びの特徴を「自己概念」「学習者の経験の位置づけ」「学習へのレディネス」「学習の志向性」「学習への動機づけ」の5つの観点から、子どもと比較して整理しています。

この特徴を踏まえて、ノールズはおとなに対する教育原理として『自己主導型学習モデル』を提唱しました。ちなみに子どもに対するものは『教師主導型学習モデル』と呼ばれます。

成人教育者の役割の基軸を変える

自己主導学習モデルでは、学習者が学習のゴールや計画を主体的に決めて、それに基づいて能動的に学習活動に取り組み、学習者同士の経験をリソースとしながら話し合ってゴールを目指します。学習の評価も学習者自身がどの程度実現できたかという観点から行うのを原則としています。

ここだけを読むとまるで「独学モデル」にも思えますが、ノールズは自己主導型モデルを独学モデルではなく、学習者と教育者が相互的交流によって成立することと教育者を含めた集団における学習を意図して構築しました。

自己主導型学習モデルにおける教育者の役割は、知識を教えるのではなく、成人学習者の自己決定を尊重しつつ、学習者にとって有意義な学習となる支援・援助をすることです。

このような自己主導型学習を可能とするうえでノールズが重視したのは学習構造の設計でした。子どもに教えるように細かく教示・指示・指摘・評価するのではなく、講師が手出し口出ししなくても主体的に学習が進むようなプログラム設計が重要ということです。自己主導型学習モデルはそのようなプログラム設計をする際の視点として活用されます。

ノールズは自己主導型学習モデルを提唱することで、おとなの学びにおける教育者の役割を「知識の伝達」ではなく、「学習の援助・支援」にあることを明確にしようとしました。

今でこそ「学習支援」という言葉をあちこちで見かけるようになりましたが、半世紀も前に学校教育的な発想で成人教育をしている状況に疑問を呈し、成人教育者の役割を「教育から学習支援へ」と転換させた、ノールズの功績は大きいと思います。

成人教育論をめぐる論争

ノールズのアンドラゴジーは、アメリカだけでなくヨーロッパや日本の成人教育現場に大きな影響を与えました。一方でどの理論もそうであるように批判的な論争も当然起こりました。

まず論争になったのが、「子どもはペタゴジーで、おとなはアンドラゴジーだと割り切れるのか」。

これに関してはノールズ自身が後年になって「子どもペタゴジーで成人はアンドラゴジーという二分法ではなく、子どもから大人へ向かう成長過程に対応させながらその時々の教育・学習の様態を構想すべき」と主張しています。

もうひとつ論争となったのが、「すべての成人を自己主導的な学習者とみなしていいのか」という点です。たしかに個人的な体験からも、成人なら誰もが自己主導的な学習者であると断言することには疑問があります。

現在この点に関しては、カナダの教育学者パトリシア・クラントンの「すべての成人が自己決定的な学習者というわけではないが、自己決定的な学習者でありたいというニーズを持っている」という説がよく引用されます。

こういう著名理論に関する論争を後追いで研究するのはめんどくさくもありますが、完全無欠の絶対的な理論はないし、人間の叡智はこうやって積み重ねられていくんだということを感じる貴重な経験になりました。

研修でのアンドラゴジーのちょっとした活用法

私は研修をしていて受動的な雰囲気が支配的になると、「突然ですが、みなさんは子どもですか?おとなですか?」という質問をします。

続いて成人教育論を簡単にスライドを使って解説したあと、「今日の研修はアンドラゴジーで進めますので、皆さん、おとなの学び方でお願いしま~す」と言うようにしています。そのあとにも受動的な参加者がいると「アンドラゴジーでやっていますので、その点よろしくお願いしますね」と声を掛けたりします。

アンドラゴジーという呪文なような響きが効くのか、これだけで受動的な態度が能動的な態度へと変化する参加者がけっこういらっしゃいます。人間って器用ですよね。

グループワークのリーダー役が「アンドラゴジーでよろしくお願いします」などと言い始めることも多いです(用語の使い方を間違っていますが、そこはご愛敬で聞き流しています)。

これを読んでピンときた方は一度お試しください。

まとめ|アンドラゴジーに凝り固まらないことも大切

現実の研修における、おとなの学びは一義的ではありません。同じ一人の参加者であっても受講的な学びと能動的な学びはその時の状況によって交替しながら現れることはよく起きます。

アンドラゴジーがうまくフィットする状況もあれば、フィットしない状況もあります。今回はアンドラゴジーがフィットしにくい状況だと判断した時は、先ほどご紹介した「アンドラゴジーのちょっとした活用法」を使うことはありません。

せっかく成人教育論を学んでも思考停止に陥ってしまうと、いつでもどこでも同じことしかできない、凝り固まった研修講師になってしまいます。プロの研修講師ならそれだけは忌避したいものです。

あなたの研修講師としてのご活躍を心から応援しています。

(参考文献:Amazonにリンクしています)

※いずれも学術書なのでビジネス書のようなノウハウは書かれていません。

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