研修講師なら知っておきたい教育の話

毎度まいどの「カッツモデル」

10年以上前の話になりますが、東京で開催されている企業の人材育成に関する勉強会に毎月上京して参加していました。

ある時、熊本大学大学院の北村士朗先生が講師を務められたことがあります。その時の第一声が忘れもしない「今回のお題は“毎度まいどのカッツモデル”ですが…」でした。

それに続けて「カッツモデルが自分の会社に妥当すると思う方はどのくらいいますか?」という北村先生からの問いかけに全員が挙手したことを覚えています。

カッツが提唱してから約70年(勉強会当時は60年)経ちますが、今もほとんどの組織に妥当するであろうと思われるカッツモデルについて今回はご説明します。

カッツモデルとは?

カッツモデルは、ハーバード大学の経営学の教授だった、ロバート・カッツにより1955年に提唱された、マネージャーに必要な能力とその関係性を分かりやすくまとめたモデルです。

カッツモデルが作られた当時、世の中は工業社会でマネージャー以外の多くの社員は工場で決められた手順でマニュアル通りにモノを組み立てる仕事をしていました。ところが、マネージャーの仕事は決められた手順でマニュアル通りに行う仕事とは性質が異なります。そこで、カッツは製造業で成果を出しているマネージャーの仕事ぶりを研究して必要な能力をモデル化しました。

上記の通り、カッツはマネージャーが仕事をするのに必要となる能力を3つに分類しています。それが、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキル、テクニカルスキルです。

そして、その3つの能力は、マネージャーの階層ごとに必要となる割合が違っていることを明らかにしました。マネージャーの階層が上になるほど必要になるのがコンセプチュアルスキルで、対照的に階層が下がるほど必要となるのがテクニカルスキルです。ヒューマンスキルはどの階層も同じ程度必要であることが、このモデルからわかります。*図中の(カッコ書き)はコラムの最後にご説明します。

カッツモデルのような組織で働く人に必要な知識・スキル・情意・コンピテンシーなどをモデル化したもののことを一般的に「能力モデル」と呼びます。例えば、日本では2006年から経済産業省が提唱している「社会人基礎力」が有名です。

ほかにもビッグファイブとかPM理論などさまざまな能力モデルがありますが、いずれもある時点における/ある階層における能力だけをモデル化しています。それに対して、カッツモデルの特長は「複数の階層を跨いだ能力」が提示されていることです。

組織の階層の上下を跨いだ能力を提示するということは、組織内における能力開発の方向性を示しているということでもあります。そういう意味で研修講師はカッツモデルを理解しておくことをおススメします。

わかりにくい「コンセプチュアルスキル:概念化能力」

コンセプチュアルスキルは直訳すると「概念化能力」です。あまり普段使わない言葉ですが、概念化能力とは物事を感覚的に捉えるのだけではなく、抽象的な思考を通じて「概念」として捉える能力のことをさします。

そう説明されてもなかなかわかりにくい言葉です。人によっては「地頭のよさのこと」という人もいますし、カッツ自身は「本質を見極めるスキル」だといったのだそうです。私は「不確実性が高い問題や複雑な利害関係が絡む問題の解決策を考案する能力」だと捉えています。

私たちが解決しなければいけない問題というのは、現実世界で起きます。一方で、私たちがその問題の解決を考えるのは、思考の世界です。

私たちは問題が起こると、それを五感といわれる感覚器を通してまず認識します。そして、認識した情報をアタマのなかで分解したり組み立てたりして解決策を考えています。その時に、コンセプチュアルスキルの高い人は、現実の世界と思考の世界を上手に行ったり来たりして問題を解決していきます。

感覚は私にしか感じられないものなので、常に主観的にしか現実を把握できないのが人間ですが、コンセプチュアルスキルの高い人はそれをアタマのなかで客観視します。客観視するというのは客の目で見る、つまり他人の視点も加えてものごとを多角的に捉えて考えようとするということです。

また、目の前で起こった現象だけを見ていては局所的にしか問題を把握ができません。例えば、突然パソコンが動かなくなったとします。この問題が、自分の使い方で起こったのか、メーカーの製造過程の不備で起こったのか、パソコンの問題ではなくて停電になったからなのか、もしかしたら誰かのいたずらで起こっているのか、そういうことは、目の前の動かないパソコンから一歩引いて、全体を大局的に捉えて考えてみないとわかりません。

さらに、解決策を思いついたとしても、その時だけなら効果があるかもしれないが長期的に考えるとどういう影響が起こるのか、という時間軸に関する思考の行ったり来たりもあります。

このように現実世界と思考世界を上手に行ったり来たりして、そこでいろいろ考えたことを統合して問題を解決する能力がコンセプチュアルスキルの内実だと私は捉えています。企業研修で指導する場合には、参加者に現実世界と思考世界を上手に行ったり来たりしてもらうのがポイントだと思います。

現実をよく見ずに思考の世界ばかりで考えた問題解決策のことを「机上の空論」と呼んだりします。現実世界を置き去りにしてフレームワークだけを教えたり大企業の過去の著名なケースばかりを教えていると、研修参加者の職場でのアウトプットが机上の空論になりかねません。

逆に、あまり思考せずに目先の解決策ばかり採用していると、解決したはずの問題がかえって大きな問題を引き起こすことがあります。研修講師はこの辺りの指導が難しいですね。参加者が現実の問題策としてアウトプットしたものが目先の解決策なのか、このあとに何か問題が起こりそうかどうかは組織の日常を知らない研修講師は把握するのが難しいからです。参加者同士による話し合いに頼らざるを得ません。上手な話し合いとなるような研修設計が必要です。

以上ご説明したようにコンセプチュアルスキルは、現実世界で起こる複雑で不確実性の高い「正解のない問題」を解くために欠かせない能力になります。ビジネスで起こる問題は学校のテスト問題のように正解があることは稀ですから、経営者に近づくほどコンセプチュアルスキルが必要となるわけです。

企業研修では、事業戦略、マーケティング、組織マネジメント、職場の問題解決、OJT指導計画の立案などがコンセプチュアルスキル系の研修テーマになります。

組織で働くうえで欠かせない「ヒューマンスキル:対人関係能力」

ヒューマンスキルは、コンセプチュアルスキルと違ってイメージしやすいと思います。

ただ、ここで注意が必要なのは、組織で必要とされるヒューマンスキルは、プライベートの人づきあいのよさのようなものではないということです。このヒューマンスキルが意味しているのは、組織が果たすべき役割や成果を出すうえで必要となる対人関係能力のことです。

組織で必要とされるヒューマンスキルの代表的なものには、リーダーシップ、動機付け、チームワーク、交渉力、提案力、相手の意図を聴き取る/読み取る力、相手にわかりやすく受け取りやすく自分の意図を伝える力、OJTの現場指導スキルなどがあります。

ヒューマンスキルはどの階層にも必要とされるだけあって、ヒューマンスキル系の企業研修は数多く実施されています。

担当業務に直結する「テクニカルスキル:業務遂行能力」

テクニカルスキルとは、ある特定の職能分野における、仕事の処理をするために必要となる知識や技能のことをいいます。

例えば、営業をするために必要な知識やスキル、経理をするために必要な知識やスキルなど、それぞれの担当業務を適切に遂行するため必要な知識や技術のことです。テクニカルスキルは、配属された部署でOJTなどを通して指導されます。

このテクニカルスキルには、実は成長の方程式のようなものがあります。それをモデル化したのが「熟達化理論」と呼ばれるものです。熟達化理論については別のコラムでご紹介します。

まとめ|毎度まいどのカッツモデルはもう変わることはないのか?

カッツモデルは工業社会という時代背景をもつモデルです。情報社会が進展し変化の激しい現代では、マネージャーだけではなくすべての階層の社員が決められたとおりにだけ仕事をすればよい時代ではなくなりました。処理手順が決められた仕事、マニュアル化できる仕事は人の手を離れ、IT化やAI化され続けています。

そのような時代の変化によって現在、カッツモデルは管理職だけではなく、全ての階層の社員に当てはまるモデルとして使われることが多くなりました。実際、人事評価制度を構築する際にカッツモデルをマネージャーだけではなく、全社的な階層にあてはめて必要な能力を洗い出すことも行われます。最初に提示した図中の(カッコ書き)はそのことを示しています。

カッツモデルの発表から70年。私の実感としては、管理職だけではなく全社員の能力モデルの大きな枠組みとするのなら、カッツモデルはほとんどの組織に今も妥当するのではないかと思います。

しかし今後ますますIT化やAI化が進んだ時、カッツモデルは組織の能力モデルとして妥当し続けるのだろうか? 妥当しなくなったとき、どんな能力モデルになるのだろうか? 仮にカッツモデルがフレームとして妥当し続けたとしても、その中に含まれる個別具体的なスキルはどう変わっていくのだろうか?

変化の激しい昨今、カッツモデルに限らず歴史ある理論を援用する際は、現実世界の変化に理論が妥当するのかどうかを注意しておく必要があるのだろうと思います。

あなたの研修講師としてのご活躍を心から応援しています。

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